子どもの教育に投資したい——父親の教育方針に影響された少年時代
「世の中の人の知識レベルの格差をイコールにするために」——イタリアン食堂をフランチャイズ展開する当社は、創業者のミアン サミのそんな想いから生まれました。
一見すると、飲食業とは関係のない想いのように感じるかもしれません。では一体、なぜ知識レベルの格差をなくすために会社を設立したのか。そのルーツは彼の少年時代まで遡ります。
東京都は品川区に生まれたミアンは、小学生から高校生までを世田谷区の高級住宅街に位置するインターナショナルスクールで過ごしました。自宅からスクールまで往復3時間かけて通学していたことから、ミアン少年にふとした疑問が浮かびます。
「どうしてこんなに遠いんだ……」
父親にこの疑問を投げかけると、「家や車に大金を注ぐくらいなら、リターンがあるこどもの教育に惜しみなく投資をしたいから」——こう返答されたといいます。
「インターナショナルスクールの授業料は年間250万円もかかっていたので、間違いなく相当な額を投資してもらいました。こういう教育方針のもとで育ったので、弊社の社員はもちろん、加盟店オーナーの教育に対しても興味があるのだと思います」(ミアン)
インターナショナルスクールを卒業後は、アメリカの難関私立大学に進学。入学後は、「学び方を知らなかったので、勉強についていくのが大変だった」と当時を振り返ります。
「学校は勉強を教える場所ではあるんですが、学び方は教えてくれません。ですので、すごく苦戦しました。学び方を知らない人と知っている人の間には格差が生じるんです。これは飲食店にも通じる話で、例えばスタッフに対する指導方法を知らないと、『どうしてできないんだ!』と、怒鳴るしかない。でも、ただ感情で怒るのと意図を持って怒るのとでは、結果がぜんぜん違うんですよ。加盟店オーナーさんにもそういったところから教えていきたいですね」(ミアン)
「お金だけではない」「ひとりでは続かない」紆余曲折を繰り返した20代
大学4年生に進学した彼は、ひとつの業界に的を絞って就職活動をスタートさせます。それは、「もっとも効率的にお金を稼げる」金融の世界でした。
「父親が事業を起こしていたので、『起業したほうが自由に生きられるから、サラリーマンにはなるな』と言われていました。とはいえ、まずはどこかの企業に勤めて経験を積もうとしたんです。どうせサラリーマンとして働くのであれば、圧倒的に時給が高い業界に入ろうと思って。それが金融だっただけですね」(ミアン)
彼の思惑通りに年収を稼いだだけでなく、その後も順調に評価を重ね、3年目にはロンドン支局に転勤を命じられます。しかし、いくら結果を出しても希望の年収を稼げないことが判明し、転勤から1年後に退社。その後は同じくロンドンで、資産運用をメインに展開する会社に入社します。
転職後は、それなりに稼いだミアンでしたが、ある違和感をきっかけに、重要なことに気づかせられるのです。
「仕事が順調な時とそうでない時の気持ちの浮き沈みが激しいので、性格的にトレーディングに向いてないと思ったんです。大金を扱う仕事なので、常に平常心をキープして冷静な判断をしないといけないんですが、感情に左右されていたことでできていないときもあって。我ながら、なんてもろい人間なんだ、と……。その時にたどり着いたのが、お金ことだけを考えていては、いい仕事ができないということ。それをきっかけに退職することにしました」(ミアン)
その後、日本に帰国したミアンは、太陽光パネルの製造・販売を行なう事業で起業をすることに。それまで、金融の世界でエリート街道をわたり歩いてきた自分であれば、ひとりでもできる——そう確信していた彼に、またしても大きな壁が立ちはだかることになるのです。この経験が現在の当社のベースになることを、当時のミアンは考えもしませんでした。
「売り上げが落ち込むなどして壁にぶつかっているときは、やっぱり自分との戦いなんですよね。でも、その戦いには勝てなかった。前職では、『お金だけではない』ということを学びましたが、起業したことで、今度は『ひとりでは続かない』ということが分かったんです。自分が10人いればうまくいくと思っていたんですが、それではむしろダメ。自分と違う人が10人いないと、いい仕事は生み出されないんですよね」(ミアン)
フランチャイズ本部を構築するために、まずはフランチャイズに加盟
この大きすぎる壁を乗り越えることができず、はじめての起業は1年半で終幕を迎えます……。そこでサラリーマンとして再度、証券会社に転職することになったのです。
「はじめての起業でかなりの額をつぎ込んだので、5年間だけサラリーマンに戻ることにしました。その後は、ちゃんとした理念を考えたり社員を雇ったりするなどして、みんなで補填しあいながら、お金だけではない、もっと大きな志を持った会社を作ろうと考えたんです」(ミアン)
入社後は、兼ねて行なっていた不動産投資を加速。5年後には、200戸ほどの不動産を所有するまでに資産が膨らんでいました。
「正直、お金もそれなりに貯まったので働かなくても良かったんですが……(笑)。父親が教育にお金をつぎ込む教育方針だったことはもちろん、学び方を知らずに大学の授業に付いていけなかったことや、起業をしてひとりで壁にぶつかった経験などから、自分みたいな経験をしてほしくないという思いで、『教育』に興味があったんですよね」(ミアン)
そこで最初に考えたのが、直接教育に携われる「高校教師」。しかし、奥さんからの「規模が小さいのでは?」というアドバイスをもとに、より多くの人に影響を与えられる選択肢が浮上するのです。それこそが、言うまでもなくフランチャイズ本部を構築することだったのです。
「自分の夢は、教育を通して関わる人たちを全員成功させること。フランチャイズであれば優秀な経営者を多く輩出できるチャンスがあるだけでなく、売り上げなどの数字を見れば成功したかどうかが分かります。中でも、飲食に関わる人たちというのは、さまざまなバックグラウンドを持った人たちが多いので、この人たちを全員成功に導いてあげることができれば本当の成功と言えるのではないのか、と」(ミアン)
そんな志を抱いたミアンですが、時を同じくして、ある人物との出会いにより急展開を見せることになるのです。それは、イタリアン食堂の前身でもある「ヤキタテピザ佐野」のフランチャイズ事業を展開する「株式会社ピーテンプル」の代表取締役・江尻氏でした。
「実は、元麻布にあった『ヤキタテピザ佐野』には家族でよく食べにいっていたんですが、その時に江尻さんがインテリアデザインも兼務しているということで、名刺交換をしていたんです。それである日、所有していた不動産のデザインを依頼しようとしたら、ヤキタテピザ佐野がフランチャイズ展開しているということを教えてくれたんです」(ミアン)
偶然にも2つのタイミングが重なったことで、ミアンは「ヤキタテピザ佐野」のフランチャイズに加盟。そうして産声をあげたのが当社なのです。
さまざまなトライ&エラーを繰り返して、ついに「イタリアン食堂」がオープン
「フランチャイズ展開するには、まずは自分がフランチャイズに加盟するのが先だと思いました。そもそもフランチャイズについて何も知りませんでしたから……。そこで加盟店のオーナーとしていろいろ勉強をさせてもらうことにしたんです」(ミアン)
すると、1年間のオーナー経験からある戦略が導き出されるのです。
「まず分かったのは、それなりのスケールがないとピザの業態で事業をスタートさせるのは難しいということ。熱々のピザを提供するピザ屋では、季節的な要因が売り上げに直結します。また、土日は売り上げが伸びますが、日本では平日のランチでピザを食べるという食文化が浸透していません。ですので、一から自分でフランチャイズ本部を構築するのではなく、M&Aで『ヤキタテピザ佐野』の事業ごと買収することにしたんです」(ミアン)
フランチャイズオーナーから、晴れてフランチャイズ本部になった当社ですが、この「ヤキタテピザ佐野」をベースに、新たな業態にチャレンジすることになりました。それが、「イタリアン食堂」なのです。
「個人店のイタリアンのお店はそこら中に溢れていますが、実際に行ってみないと味は分かりません。とはいえ、イタリアンというとそれなりに値段が張るので、気軽に入れるお店も少ないんですよね。そこで、気軽に入れるイタリアンのお店を作りたくて『イタリアン食堂』を作ったんです。客単価はランチで800円〜900円。ディナーでも2000円〜2500円に抑えているので、サラリーマンの方でも週に1度はご来店いただけるイメージです」(ミアン)
メニュー構成におよそ1年の期間を費やして、2016年5月に「イタリアン食堂」の第1号店を五反田にオープンさせます。すると、多くの飲食店が軒を連ねる五反田において、メディアでも取り上げられるほどの人気店に成長。しかし、直営でもある五反田店では、この成功だけがすべてではないとミアンは続けます。
「五反田店は、机上で考えていたことが成功するか否かを検証するための、いわゆる実験の場。ですので、直営を10店舗や20店舗も増やすことが目的なわけではなく、成功するフランチャイズオーナーを生み出すためには、どういうポイントを改善するべきかを見極める場であると捉えています」(ミアン)
五反田店でのトライ&エラーを繰り返して、新たな実験の舞台となる「蒲田店」がオープンしたのは2017年1月。今後は、ミアンの想いでもある「世の中の人の知識レベルの格差をイコールにする」ことで、成功する経営者を多く輩出し続けます。
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※掲載情報は取材当時のものです。