株式会社TGALの代表取締役・河野恭寛
テガルデリバリーのロゴ

フードデリバリー業界に新風! 元飲食コンサルが手掛ける新しいスタイルの飲食FC

トレンドを先取りした16もの飲食ブランドを擁する「テガルデリバリー」。FCオーナーは加盟時にこの中から3ブランドを選んで開業するなど、斬新なデリバリーチェーンが話題をよんでいます。これらの飲食ブランドをプロデュースする株式会社TGALの代表取締役・河野恭寛は、これまでどんなキャリアを歩んできたのでしょうか。

上場企業の幹部候補生として、圧倒的なスピードで成長したファーストキャリア

ファーストキャリア_大手通信企業イメージ
通信業界大手企業で圧倒的な結果を出し続けたファーストキャリア

河野のキャリアは、大学を卒業後に通信業界大手の某企業に入社したところから始まります。新卒にもかかわらず「経営幹部候補生」として入社した彼は、入社から半年後には同期の社員を置き去りにして課長職に昇級するのです。

その後、自社が所有する携帯ショップの九州エリアの統括責任者に抜てきされた河野。そんな彼に下されたミッションは、エリア全体で年間600台しか販売実績のない携帯電話の販売台数を、3000台にまで増やすというもの。当時、河野が25、6歳の頃でした。

「どうやったら販売台数が5倍になるんだ——」

考えを巡らした末にたどり着いたのが、「販売網の拡大」です。そこで、当時ファミリー層を中心に多くの集客を得ていた人気の量販店に店舗を設置。赴任当初は九州全体で6店舗ほどしかなかった自社携帯ショップを、10数店舗にまで拡大するのです。すると、右肩上がりに販売台数が上昇し、結果、ミッションでもある3000台を達成。

この功績が認められ、次は50店舗を擁する関東エリアの統括責任者に命じられます。エリア全体で年商20億円にもおよぶなど、業績好調な中小企業ほどの規模を任されたのです。

今でこそひとり1台以上を持つ携帯電話ですが、当時はまだまだ稀有な存在でした。そんな携帯電話を世に広めた会社の第一線で活躍するなど、圧倒的なスピードでキャリアを積んでいきました。

「バブルが弾ける前には時価総額は日本で上位のイケイケな会社だったんですよ。世の中に存在しないものを0から生み出していく。要するに、ブルーオーシャンにビジネスを作り上げていくというのをまじまじと見せつけられて……。その一員として働いていたので、自分がビジネスを起こす時には、競合がいないことはもちろん、フランチャイズ展開をしていきたかったので、誰でもできて拡張性が持てる事業でやりたいという思いがありましたね」(河野)

河野がそう考える背景には、彼の実家が営む飲食店の存在があったのです。

「1店舗でこぢんまりと営業しながらも繁盛はしていたようなんですが、正直、それに対して魅力を感じなかったというのが本音。どうせやるなら50店舗や100店舗まで拡大していきたいと考えていました」(河野)

入社から怒とうの5年が過ぎると、当時勤めていた会社の役員からある相談をされるのです。それは、「独立するから、一緒に働かないか?」という内容でした。悩んだ挙句、5年間お世話になった会社を離れ、この役員の右腕として働くことを決意するのです。この経験が河野の人生を左右することになるとは、当時の彼は知る由もありません。

「テガルデリバリー」のルーツとなった飲食コンサルの道へ

コンサル業のイメージ
新たなキャリアで転機となる飲食店のコンサルタントを任された河野

こうしてインターネット広告の営業マンとして新たなキャリアを歩みはじめた河野。その後は、インターネット回線や保険の販売など新たな事業部の立ち上げを経験します。保険の事業部では、全国に点在する営業マンの中でも2年連続で新人賞を受賞するなど、会社の拡大に大きく貢献します。

そして、入社から数年が経ったある日、河野にとって大きな転機が訪れました。彼にとって未経験の領域でもある「飲食店のコンサルタント」を任されることになったのです。すると、コンサルをスタートさせてすぐに、ある違和感を覚えはじめます。

「大型商業施設内に店舗を構える飲食店だったんですが、集客が外部要因に頼りすぎているな、と。商業施設の集客が潤っていれば、その飲食店の集客も比例して潤う。逆もしかりですよね。つまり能動的な集客ができれば、商業施設の集客に頼ることなく売り上げを伸ばすことができると考えたんです」(河野)

すると、時を同じくしてその飲食店の隣に事務所を構えていた病院から、河野の悩みを吹き飛ばすある相談をされるのです。

「そこで働くMRの方から、『弁当を宅配できないか?』と聞かれたんです。詳しく聞いてみると、病院で発表会がある際、出席者全員で弁当を食べるみたいなんです。そのときに食べる弁当を宅配してもらいたいけど、宅配してくれる業者がなくて困っている、という内容だったんです」(河野)

河野の思いと消費者の需要がバチンとはまった瞬間です。この需要をチャンスと捉えた河野は、その後、宅配弁当のリーフレットと注文書を片手に、1日10件にもおよぶ病院に飛び込み営業を実施。すると、驚くほど大きな反響を呼ぶことに……。なんと、コンサル前は600万円〜700万円程度だった売り上げが1千万円に到達するのです(!)。

「お弁当を持っていくとみなさん喜んでくださるんですよね。でも、ただデリバリーしているから喜んでくださっているわけではなく、当時でも5店舗くらいチェーン展開している有名な飲食店だったんですが、このお弁当が食べられることを喜んでくれているんだな、と」(河野)

しかし、ある頃を境に、不穏な空気が漂いはじめました。それまで順調に売り上げを重ねていた弁当の注文が急激に落ちはじめるのです。

30歳にして起業するも、待ち受けていた想定外のアクシデント

河野(右奥)と創業メンバーの一コマ
念願の独立を果たした河野(左奥)と創業メンバーの一コマ

「なぜだ……なぜなんだ?」

いても立ってもいられなくなった彼は、仲のいいお客さんに事情を聞きにいきます。すると、衝撃の事実が発覚するのです。

「インターネットからの注文じゃないと病院からの決済がおりないと言われたんです。それまでは注文書で注文してもらうアナログなやり方だったんですが、すぐにオンラインで注文できるように切り替えました」(河野)

こうした逆境にも柔軟に対処し、結果を残してきた河野に2度目の転機が訪れます。コンサルを担当していた会社から、外部委託としてではなく入社を促されるのです。ですが、もともと独立志向のあった河野が出した答えは、NO。

しかし、ここで想定外のアクシデントが起こります。コンサル先の社長から、起業をしても1年間は飲食関係の事業に携わってはいけないという条件を突きつけられるのです。とはいえ、そろそろ独立を考えていた時期ということもあり、このタイミングでコンサルを終了させると共に、会社を退社。そして、起業するに至るのです。

最初の1年こそ飲食とは関係のない事業で食いつなぐものの、それもジリ貧状態……。そして、約束の1年が過ぎたころ、東京都内に店舗を構える飲食店のコンサルを依頼されます。

「上場企業が運営するイタリアンのお店だったんですが、依頼された時点で売り上げは月400万円程度。それなのに1ヶ月の家賃が200万円。結果、毎月200万円の赤字でした。料理を食べてもおいしくない上に、料金も相場よりも高い設定で……。すぐに、これじゃダメだと思いましたね」(河野)

そこで彼が重要視したのが「インパクト」。近隣店舗にはない秘策で満席必至の人気店に生まれ変わらせるのです。

「まずは、ターゲットを仕事帰りの女性に設定。毎日オープンから20時までをハッピーアワーと題し、ビールとハイボールを100円にしました。さらに、大きな鉢植えに盛ったバーニャカウダーで見た目のインパクトを表現。女性が好みそうな旬の野菜をメインにしたメニュー構成にしたんです」(河野)

すると、河野の読みがみごとに的中。斬新なヴィジュアルもあってSNSを中心にじわじわと人気に火がつき、コンサル前は月400万円だった売り上げが1千万円を超える月もあったほど(!)。

そうして蓄えた資金を元手に、河野は銀座に自身初となるオリジナルの店舗「ダイニングバー」をオープンさせるのです。2014年11月のことでした。

シェイクシャックの日本初上陸に先駆けてオープンした「高級バーガー店」が大ヒット

テガルデリバリーの第1号店「バーガーズカフェ神保町店」
テガルデリバリーの第1号店となった「バーガーズカフェ神保町店」

ダイニングバーのオープンとほぼ同じタイミングで、河野はあるニュースを耳にします。それは、アメリカはNY発のハンバーガーショップ「シェイクシャック」が2015年11月に日本に初上陸するというもの。飲食関係の情報には常にアンテナを張っている彼にとって、決してスルーできないニュースでした。

「この初上陸と共に、日本にも高級バーガーブームがくるな、と。NY発ということで、アメリカナイズドされたお店であることは明確なので、食材などすべて国産で勝負すれば、間違いなく当たると考えました」(河野)

そうしてシェイクシャックの初上陸に先駆けてオープンさせたのが、テガルデリバリーの第1号店「バーガーズカフェ神保町店」なのです。すると、多くのテレビ番組や雑誌などが注目。オープン前にもかかわらず、話題のお店としてメディアに紹介されるのです。

「イートインもできるお店だったので、オープンした初日から終日満席でした。早くデリバリーをスタートさせたいと思っていたんですが、そんな余裕もないくらい忙しかったですね」(河野)

ようやくデリバリーをスタートさせると共に、その後は流行を先読みしたブランド展開で、2015年12月にはローストビーフ丼をメイン商品とした「神保町ビーフ」を、2016年4月には「牛かつ 黒べこ」を、2016年8月には「牛たん専門店 せんり」をスタートさせるなど、急ピッチで取り扱いブランドを増やしていくのです。

「ターゲットにしている層は、ミレニアル世代と呼ばれる1980年代から2000年代生まれの方です。この世代に響くような商品開発や店舗開発をしています。一見、牛たんなんておじさんの食べ物と思うじゃないですか。ふたを開けてみると、お客さんは女性の方ばかりなんですよ。食べたいという思いはあるけれど、お店へ食べにいくのが恥ずかしい……。であれば、デリバリーで食べよう、という流れになるんですよね」(河野)

その後もスピードを緩めることなく、ミレニアル世代からニーズのあるブランドを次から次へとプロデュース。そして2017年8月現在、テガルデリバリーの取扱いブランドは16を数えます。今後も100ブランドを目標に拡大し続けると言う河野。世の中のニーズに合わせてデリバリーする商材を変えられるというありそうでなかった斬新なコンセプトを武器に、これからもデリバリー業界に新風を巻き起こしていきます。

※本記事の後編はコチラ
マルチブランドで変幻自在の中食ビジネス——「テガルデリバリー」の急成長に迫る


有名ブランドが一度に取り扱える「テガルデリバリー」本部ストーリー ― 2017.9.25



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