セブン-イレブン 京阪鳥羽街道駅前店 田中克季オーナー
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セブンイレブンで家族が一つに! 妻と娘の反対を乗り越えたコンビニ経営2年生パパ

2015年1月、念願だった「セブン-イレブン京阪鳥羽街道駅前店」をオープンさせた田中克季(たなかかつき)。履行補助者は奥様の雅代さんです。かつて単身赴任をしていた田中が「家族4人で一緒に暮らしたい」という思いからはじまったコンビニ経営物語。田中の前職時代からセブン-イレブンに加盟した現在に至るまでのストーリーをお話しします。

家族4人で鳥取に移住するものの、直後に転勤を命じられ単身赴任

セブン-イレブン京阪鳥羽街道駅前店前に立つ田中オーナー
このストーリーの主役となるセブン-イレブン京阪鳥羽街道駅前店オーナーの田中

京都駅から電車を乗り継ぐことおよそ15分——。

京阪本線「鳥羽街道駅」の周辺には、紅葉の名所としても知られる東福寺や、無数に連なる千本鳥居で有名な伏見稲荷大社などがあります。そんな「鳥羽街道駅」のほど近くに、2015年1月にオープンした「セブン-イレブン京阪鳥羽街道駅前店」。オーナーは、地元・京都出身の田中克季。現在50歳で、2人の娘を持つパパでもあります。お店の前の通りは、田中の高校生時代の通学路。彼がコンビニ経営に興味を持つきっかけは前職時代まで遡ります。

将来的には慣れ親しんだ京都を離れ、両親の出身地でもある鳥取へ移住を計画していた田中。知り合いから鳥取でできる仕事を紹介してもらったことをきっかけに、家族4人での鳥取移住が現実のものになるのです。今から7年前のことでした。

田中が転職したのは、中国地方を中心に20店舗以上のスーパーマーケットを展開する会社。慣れない職場環境に戸惑いながらも、かねて熱望していた鳥取での生活に幸せを噛みしめていた彼に転機が訪れます。

「入社から2〜3ヶ月が経った頃に、鳥取から岡山への転勤を命じられました。家族4人でのんびり鳥取暮らしを満喫するはずだったんですが、新事業の責任者に抜擢されました。過去の経験を活かせるということもあり、悩んだ末にチャレンジしてみたいと思ったんです」(田中)

かくして、家族3人を鳥取に置いて岡山での単身赴任生活がスタートすることに。その後、新天地のスーパーマーケットが農林水産省の推奨するモデル店舗に選ばれるなど、結果を残した田中に、またしても転勤の辞令が下されるのです。そうこうしているうちに娘も大学への進学で京都に戻ることに。

「鳥取という地で家族4人で暮らすために移住したのに、俺は単身赴任で娘は京都の大学に通ってバラバラじゃないか。一体何のために頑張っているというのだ——?」

仕事へのやりがいは感じつつも、当初抱いていた理想とのギャップに自問自答を繰り返した末、田中が出した答えは6年務めた会社を退職して、娘が大学生活を送る京都に戻って独立するというものでした。

「父親がスーパーマーケットを経営していたこともあり、自分もいずれはお店を持ちたいと思っていました。このまま単身赴任をしていれば、いずれ娘が巣立ってしまい家族4人での生活ができなくなる。ただ、父親の背中を見てきて、一から事業を起こすのは容易なことではないと心得ていたので、フランチャイズでの独立を検討することにしたんです」(田中)

そこで重要視したのは、前職となるスーパーマーケットでの経験が生かせる仕事。そこには、単身赴任時に地元の方と接してきた田中の“ある思い”があったのです。

「当時、勤務していたのが800坪くらいある大型スーパーで、土地柄、お客さまは高齢な方がほとんど。商品数が多く便利な反面、広すぎるがゆえに『店内を移動するのが大変』という声がありました。そこで、デリバリー事業をスタートさせたらとても喜んでもらえたんです。他にも、都市部とは違い田舎のほうは商圏が広いので、特にお年寄りにとっては買い物も大変なので、小規模のスーパーを展開するよう会社に提案したんですが、こちらは取り合ってもらえませんでした」(田中)

バラバラになる家族——打開するために決意したコンビニでの独立

PCイメージ
ネットに溢れる情報はコンビニ経営について悲観的

こうした経験から、「近所で困っているお客さんに貢献できる仕事」が可能性を秘めている。前職時代の経験を生かすのであれば、同じ小売業、その中でもコンビニエンスストアが最適ではないだろうか——田中はそう思い、独立の軸をコンビニ経営に絞ります。

しかし、いざネットで調べてみると「悲惨」や「残酷」というワードが多く、世間ではネガティブなイメージが否めないコンビニ経営の実態を目の当たりにします……。しかし、若干の不安を感じつつも鵜呑みにすることだけはしなかった田中。そんな当時のことを彼はこう振り返ります。

「実際、コンビニ経営をしている知り合いがいるんですが、十分休みも取れていて満足した生活ができていると聞いていたので、決してオーナーさん全員が苦しい思いをしているわけではないはずだ、と。現状に満足していないからこそ匿名でネットに書き込んでいるだけで、満足しているオーナーさんはわざわざ書き込まないはずですからね」(田中)

商売なので苦労をして当然。しかもそれが立ち上げ時であれば尚さらです。ただ、目の前の業務を全うしていればいつかは報われる——そう信じ、田中はネガティブワードを一切気にしませんでした。

そんな田中が、数あるコンビニエンスストアの中からセブン-イレブンを選んだのは、新卒で入社した会社がセブン-イレブン・ジャパンと同じ親会社(株式会社セブン&アイ・ホールディングス)のグループ会社で総合スーパーを展開している「イトーヨーカ堂」だったから。

ただ、セブン-イレブンのフランチャイズは、夫婦や親子、兄弟などの履行補助者と共に加盟するのが条件です。家族経営を熱望していた田中にとって、それは現在「セブン-イレブン京阪鳥羽街道駅前店」の店長を務める妻の雅代さんにあたります。

「妻に『セブン-イレブンのフランチャイズに加盟したい』と相談したら、当然のように反対されました。ネットで調べた世間の評判のように、妻もコンビニ経営に対してあんまりいいイメージを持っていなかったようで……。ただ、前職のスーパー時代に1日18時間とか働いている姿を見ていたので、当然と言えば当然かもしれませんけどね(笑)」(田中)

さらに、当時大学生と高校生だった娘2人も父親のコンビニ経営には大反対。家族経営を夢見ていた田中は、家族の協力を得られず窮地に立たされるのです。

「加盟したら夫婦で経営することは避けられないので、娘たちにとったら『私たちのお母さんがお父さんに取られる』という思いだったんでしょうね。多感な時期ということもあり、当時は自分の親がコンビニ経営をしているという事実が恥ずかしかったみたいです(笑)」(田中)

コンビニは365日休みなく働く? 家族全員がコンビニ経営に大反対!

コンビニオーナーについて語る田中オーナー
家族全員にコンビニオーナーになることを反対されたエピソードを語る田中

「何としてでも家族4人で一緒に暮らすんだ——」

そう強く胸に誓い、雅代さんを説得する日々が続きます。そしてある日、田中の思いが実を結び、なんとか雅代さんをオーナー募集説明会に連れ出すことに成功。しかし、田中がセブン-イレブンのフランチャイズに加盟したいと願う気持ちと同様、雅代さんが反対する気持ちも相当なもの。オーナー募集説明会に参加しただけでは、それが覆ることはありません。

「妻は大学を卒業してからずっと学校の先生として働いていたので、自分がコンビニのレジに立つというイメージができなかったみたいで……。365日休みなく働くイメージで、なかなか首を縦に振ってくれることはありませんでした」(田中)

そんな雅代さんの気持ちが一変したのは、オーナー募集説明会に参加してから1年以上が経過してからのこと。2015年の5月にオーナー訪問をしたことがきっかけでした。

「加盟から2年半、そして10年以上も経っているオーナーさんにいろいろ話を聞く機会をいただきました。夫婦できちんと休みが取れていることを知れて妻も安心し、そこでようやく加盟を承諾してもらいました」(田中)

百聞は一見にしかず、1年という長い期間をかけて雅代さんを説得し、これであとは加盟してオープンするだけ……と思いきや、ここで新たな壁が立ちはだかります。それは、立地の問題です。希望の条件の物件に空きがなく、田中夫婦の行く手を阻むことになるのです。

「娘たちが巣立つ前に一刻も早く加盟したいのになぜなんだ……」

痺れを切らした田中夫婦は、セブン-イレブンとは違う大手コンビニエンスストアのフランチャイズ加盟も視野に入れはじめます。そして、大手2社の事業説明会に参加した田中夫婦の行動からは想定外の結論が出たのです。

「説明会に参加して『やっぱり、コンビニを始めるならセブン-イレブンに加盟しよう』という結論に落ち着きました。説明会当日に本部事務所でお世辞にもいい対応をされなかった上に、翌日に物件を紹介されて『お返事お待ちしています』と。とてもいい立地条件だったんですが、昨日会ったばかりで信頼関係もできていないのに…。そんなやりとりから、私の場合は本部とオーナーが二人三脚で頑張っていこうという気持ちが感じられなかったんです」(田中)

スーパーとコンビニの違いを理解して売上が右肩上がりに上昇!開業2年後の今

セブン-イレブンの商品陳列棚
スピード感を持って商品を入れ替えることで日販が右肩上がりに上昇

そうして、2016年1月29日にオープンしたのが、田中夫婦がオーナーを務める「セブン-イレブン京阪鳥羽街道駅前店」なのです。

「家族4人で暮らしたい」という思いを具現化し、意気揚々とオープンを迎えた田中でしたが、当日はその思いを打ち砕く雨。悪天候が影響したこともあり、当日は想定していた客数を下回るもののまだまだ始まったばかり。しかし、それが続くと不安に思ってしまうのも当然です……。

「前職時代は『欠品は罪』と教わってきたので、廃棄を出して本部の方に怒られてしまうくらい発注していたんです。でも、結果が出ずに多少なりとも焦りはじめて……。そこで、本部の方に相談することにしました」(田中)

すると、スーパーマーケットとコンビニエンスストアの決定的な違いを目の当たりにすることになるのです。それは、「商品の入れ替えスピード」でした。

「コンビニは常に新しい商品が置いてあることに価値があるため、どんどん変化していかなければならないことを教えていただきました。スーパーは、定番商品がメインで、たまに新商品を差し込む程度。このスピード感がスーパーとコンビニでは圧倒的に違うな、と」(田中)

そこからはどんどん商品を入れ替え、常に新しい商品ラインアップであることに努めた田中。さらに、他のコンビニエンスストアを利用して感じていた“ある違和感”を徹底的に排除していくことで、次第に日販(一日あたりの売上)が上がっていくのです。

「店内はもちろん、フライヤー周りが汚いお店が多いんですよね。スーパーは女性のお客さまが中心なので、そういうところは敏感に察知して寄り付かなくなるんですよ。オープン直後で慣れない業務にバタバタするのは致しかたないんですが、そういう基本的なことは徹底しよう、と」(田中)

その結果、オープンから2ヶ月後には観光シーズンということも相まって、オープン時は日販がシミュレーションを下回っていたものの、ほぼシミュレーション通りに。そして、オープンから2年弱が経過する現在に至るまで日販は右肩上がり。2017年7月には、開業当初かねて目標だった日販を達成するなど、順調なコンビニ経営をひた走っています。

そして、家族4人でひとつ屋根の下に暮らすだけでなく、家族全員が笑顔で働いていることに何よりも幸せを感じている田中。もしかしたら彼にとっては、日販よりも家族の時間が増えたこと、家族が一つになる場所ができたことが何より重要かもしれません。

「あれだけコンビニ経営に反対していた妻が、意外と楽しそうに働いているんですよ。しかも、娘たち2人も週に2〜3回は手伝いに来てくれるだけでなく、『コンビニ経営が恥ずかしい』と言っていた上の娘が、『大学の授業でアルバイトをするならセブン-イレブンがいいって言われたよ〜』と嬉しそうに報告してくれたんですよね。セブン-イレブンに加盟して良かったと心から思いました」(田中)

とはいえ、まだまだコンビニオーナーとしては2年生。「スタッフに仕事を任せられない」という自身の課題を克服し、他店舗展開を実現するために全力で駆け抜けます。


セブンイレブンで家族が一つに! 妻と娘の反対を乗り越えたコンビニ経営2年生パパ(2017.12.15公開)
※掲載情報は取材当時のものです。



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