株式会社フォーナレッジ 代表取締役加藤 綱義
2015-11-05 専門家が語る。フランチャイズ・独立開業コラム
株式会社フォーナレッジ 代表取締役 加藤 綱義

フランチャイズとM&Aとの出会い

 このコラムのポイント

マルチフランチャイズ企業、株式会社ジー・コミュニケーションの元幹部、加藤綱義氏のコラム連載が開始。彼が携わっていたフランチャイズ×M&A事業のこと、そこで得た「フランチャイズとは何たるか」という部分にフォーカスした自己紹介の回です。

フランチャイズWEBリポート編集部


フランチャイズ×M&Aに出会うまで。私のバックグラウンド

初めまして、株式会社フォーナレッジの加藤綱義です。この度、フランチャイズWEBリポートさんからお声掛けいただき、このコラムに寄稿させていただくことになりました。
皆さんの今後のビジネス判断の一助となるように微力を尽くす所存ですので宜しくお願いします。
第一回目なので自己紹介をしながら、フランチャイズとM&Aとの出会いを説明したいと思います。

私の実家は愛知県蒲郡市というところでミシン刺繡加工業の町工場を運営しております。ちょうど物心つく頃に機屋から業変しましたので約40年続いております。最盛期は1990年前後のバブルの頃でパートさんも数多く働き、早朝から夜遅くまで工場は稼働していました。現在は父母と数人のパートさんでのんびり運営しています。

兄弟は私含めて3人、兄と妹です。2つ上の兄は大学から東京に出て、名古屋に本店のあった都市銀行に就職し、現在も東京在住です。二つ下の妹は隣町にあるトヨタ系下請け工場の長男に嫁ぎました。

私はというと、1992年に早稲田大学を卒業し、NTTに就職しました。最初の所属は、名古屋の中心・栄地区を担当する支店で主に電話機やFAXを売る営業でした。当時の移動のほとんどは自転車です。真夏の暑さと真冬の寒さのおかげで、麗らかな春と侘しい秋のありがたさを感じることができました。

また、同じ愛知県とは言え、名古屋は初めての街で言葉、文化の違いに少なからず戸惑ったものです。いわゆる尾張と三河の違いです。ただ、ほとんどがドラゴンズファンということには変わりはなく、溶け込むのも意外に早かったと記憶しています。そして、溶け込めば優しい街、それが名古屋です。

阪神淡路大震災の年でもあり、地下鉄サリンの年でもある1995年、それも震災の影響も癒えない3月1日に本社広報部に異動となりました。当時の本社は内幸町にあり、私は日比谷駅を利用していました。地下鉄サリン事件が起きた3月20日はたまたま引越作業のため有給休暇をとっており、幸い難を逃れました。

広報部では社内外広報(社外PR誌、社内誌等)・広聴・秘書・庶務業務を担当しました。当時の広報部の命題は「分割阻止」です。一致団結して論陣を張ったものです。特に、広報部長やマスコミを対応する報道部門は連日、新聞記者含め有識者と言われる人たちとの対応で多忙を極めておりました。

因みに当時の広報部には、現在の官房副長官・世耕弘成参議院議員が報道部門の係長としてバリバリに活躍されておりました。そのような頑張りに関わらず、無情にも分割が決定され、私はNTT西日本本社広報室に移り、ホームページ開設やマスコミ対応を経験しました。大阪には3年半ぐらい在住し、粉ものの食文化は好物の1つとなりました。

NTTグループの広報は素晴らしい組織と人材、侠気がありました。これも、かつての不祥事(リクルート事件等)で世間の厳しい批判を浴びたからです。丁度、この原稿を書いている頃、旭化成・旭化成建材の不祥事のニュースが巷を賑わせています。旭化成は誰もが認める優良企業で、これまで目立った不祥事は聞いたことがありません。そのためか、謝罪会見・説明会見を見ても、広報が機能しているように思えません。

ここでは詳細を語るのは控えますが広報の役割は、マーケット・世論に寄り添った経営を経営陣がしているかをチェックして正す機関です。少なくとも当時のNTTグループの広報はそうで、そのような組織に所属できたことを今でも誇りに思っております。

同級生の誘いで入社したジー・コミュニケーションはマルチフランチャイズ企業

2002年1月に株式会社ジー・コミュニケーション(以下、「ジーコム」)に私は転職します。創業者でありオーナーとは、高校時代の同学年で同じ部活という縁がありました。ここで、フランチャイズとM&Aに出会うことになります。

そして、2010年にオーナーが第三者にジーコム株式のほとんどを売却したことに伴い、ジーコムを退職(当時は子会社の焼肉屋さかいの代表取締役)し、オーナーが新たに立ち上げた会社(現、NOVAホールディングス)に移り、2年弱勤めた後、2011年11月に独立・創業します。

さて、私が入社した頃のジーコムは、個別指導塾が300校弱、外食が10店舗に満たないフランチャイズ本部でした。2005年12月には教育と外食を併せて、1000拠点(教育623、外食375、その他2)を超えます。その後も拡大を続け、現在は各ホームページによると、ジーコムグループ(ジー・テイスト、ジャスダック:2694)は859店舗に。

飲食の主なブランドは、「とりあえず吾平」「焼肉屋さかい」「平禄寿司」「長崎ちゃんめん」「村さ来」「まるさ水産」「小樽食堂」「高粋舎」です。

次に教育系の主なブランドについて。NOVAホールディングスは1610校に達しています。主なブランドは、個別指導塾で「ITTO個別指導学院」「みやび個別指導学院」「がんばる学園」、英会話で「NOVA」「こどもジオス」「EC英会話」です。正にこの急成長の要因は、“フランチャイズ”と“M&A”に他なりません。

フランチャイズとは加盟金ビジネスでなくランニングビジネスである

ジーコムのフランチャイズが秀でていた部分についてここでは触れたいと思います。
それは、フランチャイズビジネスを前金(加盟金)ビジネスでなく、ランニング(FC料)ビジネスだと理解し、実践していたことに尽きます。

その典型が当時話題になった「加盟金ゼロ」です。これは個別指導塾「がんばる学園」の加盟条件です。ただし、生徒20名で50万円、以降40名、60名、80名まで50万円ずつ徴収し、計200万円にはなります。

つまり、フランチャイズ本部としては加盟店の生徒数が増えないと加盟金相当が貰えない仕組みです。しかも、生徒20名になるまでは7%のFC料も発生しません。正に、ザー(本部)とジー(加盟店)の利害が一致した仕組みです。

外食の方でも面白い仕組みがあります。流石に外食で加盟金ゼロはありませんが、FC料を家賃比率で変動させるというものです。外食における重要な指標は、食材費(F値)、人件費(L値)、そして家賃です。

売上に占める家賃比率は一般的には10%と言われています。これをベースに基本のFC料を設定して、家賃比率が上がる(=売上が下がる=利益が出ない)とFC料を減免します。一方で、家賃比率が下がる(=売上が上がる=利益が出る)とFC料が割高になります。それを予めフランチャイズ加盟契約書で決めておくのです。

売上減少によって加盟店がフランチャイズ本部にFC料の減免を申し出ることはよくあることで、この対応は双方にとって嫌なもので、その過程でお互いに不信感が発生しトラブルになることが多いです。それを予め避ける仕組みがFC料を家賃比率で変動させるというものになります。フランチャイズ本部の人は是非、参考に頂きたい仕組みです。

終わりに

さて、いささか個人的な記述が多くなってしまいましたが、私が現在、M&Aコンサルタント・アドバイザーを生業としているのは、人生そのものの経験であり人格そのものだからです。M&Aについては、次回以降、詳しく説明したいと思いますが、ジーコム及びNOVAホールディングス時代には担当役員・責任者として、30件弱の企業・事業を買収してきました。

その中には上場企業も複数社あります。独立して丸4年が経ちましたが、M&A業者として手掛けた数は17件です。上場もしている某大手M&A業者は年間150件を150名のコンサルタントで行っています。もちろん、ディールそのものの規模、成功報酬も違いますが、クロージングベースで50件近くのM&Aに関わってきた人間は日本には余りいないと自負しております。そんな私の経験がこのコラムを読まれている企業様の経営判断、個人の方の独立など・・人生の岐路などに関して少しでもお役に立つことができれば、この上ない幸せです。

株式会社フォーナレッジ 代表取締役 加藤 綱義

愛知県蒲郡市出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1992年日本電信電話株式会社に入社、主に広報、営業部門に従事。2002年㈱ジー・コミュニケーションに転職。主に、常務取締役としてフランチャイズ加盟及び物件開発、経営企画、管理、外食、公開準備等を管轄。M&Aでは、「とりあえず吾平」「焼肉屋さかい」「英会話NOVA」含め、30件近い企業・事業の買収を担当。2009年に傘下の㈱さかい(ジャスダック、現ジー・テイスト)代表取締役就任。2011年11月に独立し、フォーナレッジ創業。2013年1月に株式会社化。創業以来21件[2015年12月現在]のM&Aに携わる。